マサッチクンの徒然草子

ホットな話題から日々のできごとまで思うことを語ります

【スポンサーリンク】

3月11日14時46分、東日本大震災! つなげ、日本の絆、まず黙とうは行いたい!

 

今日は3月11日です。

毎年、自分の頭の中では同じ言葉が繰り返されます。

「もう、一年経った」

「もう、二年経った」

・・・

そして、今年は「もう、七年経った」となりますね。

 

f:id:masacchikun:20180311142754j:plain

 

ただ、僕の場合、直接現場の大変さ、荒々しい姿を目に入れることはなかったので、福島県、宮城県はじめ、真に被災の惨状に接した方たち(救援救助の方も含みます。)が語る言葉、それとは重みが違うと思ってはいます。

 

ですから、軽々に同じ立ち位置で話をしないように気を付けるべきと、意識はしています。

しかし、あの大きな揺れと、引き続く余震に脅威を覚えたこと。

それは、忘れられないですね。

 

はじめに14時46分、大きな揺れがありました。

その時は都内にいましたが、都心よりやや離れたところの大きな建物の一階にいたのです。

突如、大きな揺れが襲います。

そのすさまじさは多くの方々同様に記憶に残っているところ。

およそ一分ぐらい、体が大きくふらつくような感じの揺れを見舞いましたからね。

 

女性の中には、腰が抜けた?

適切な表現ではないかもしれませんが、立ち上がれない方もいました。

怖かったのでしょう!

僕も平然とした顔をしていましたが、同様です。

ただ、立つことはできただけ。

 

この時、思い出したのが平成12年の鳥取の地震。

当時、あちらに住んでいましたから、あの時も大きく揺れ、立てなかった女性を目に入れたのです。

もちろん、規模は違います。

今さら感のある話で恐縮ですが、はるかに東北大震災の方が大きいのです。

震度7 マブニチュード9

 

ただ、立てなくなる人が生じるほど、地震の揺れは怖い!

それが言いたいだけ。

 

話は東北大震災時に戻り、続きます。

幸い僕がいた周辺では、一次的な被害はそれほどなく、ものが倒れた、ヒビが入った程度でした。

ですが、同時に本能的というのか、震源に思いが至ったことを覚えています。

その当時は、施設を管理するような仕事をしていましたから、関係部署の安否とともに建物・施設の異常の有無を確認したことが頭に浮かびます。

火事とか、停電も・・ですね。

 

また、合わせて外の状況、被災の状況を知るためにテレビを付けたことも。

そして、放送は行われていたので、「東京は大丈夫なんだ」と妙に安堵した覚えもあります。

とはいえ、その後、電車も止まり、停電も起こり、徒歩で帰宅する者、職場に泊る者と様々な変化は生まれます。

 

数日後、社会全体では、計画停電が起き、物資の不足も燃料を主体に起きるのです。

もちろん、起きた時はそこまで予測がつきません。

ましてや、福島の原子力発電所が怪しい状態になるなどと、誰も想像していなかったでしょう。

 

時の民主党政権、菅直人内閣の迷走ぶりも見られ、『イラ菅』なんて言葉も生まれましたけど。(奇しくも、今の立憲民主党の主要メンバー。)

大変な頃を迎えることになったのです。

と、冗長になりましたが、地震生起後に時間を戻すと、先ほどの外の状況を知るためにテレビのスイッチを入れたアト。

これに触れ直しますと。

 

しばらくして現地の状況がモニターから目の前に広がった時、唖然としました。

大きな水の壁が陸地に押し寄せている姿。

低層のビルの上にいる人の姿。

堤防近くで、水の壁が迫っているのに、海岸べりを走っている軽自動車の姿。

ほかにも川をさかのぼる水の壁。

 

思い起こせば、直接現場に居合わせなかった僕でも、このぐらいのことは頭に浮かんできます。

特に、いまだに「あれはどうなったのだろう?」と思うのが、巨大な水の壁が後方から押し寄せている時に、堤防で車に乗り込む人たちの姿・・ですね。

 

あのような映像を当時のテレビ局は、短時間でよく放送できたものと思いますが、その後も同様な映像を何度も流していたこともあり、強くインパクトを伴い頭に残っています。
(映像の多くは自衛隊、警察からもたらされたようです。)

 

ですからね。

福島はじめの被災地が復旧に向かう姿は、今、見ると、とても心強く思うのです。

僕はお酒が好きですから、特にあちらの地酒を酒屋に行くと求めるようにしています。

また、お米とか魚とか機会があれば、今後もドシドシでしょう。

 

と、とりとめもなく、思い出し、頭に浮かぶことを並べましたが、発生の時間。

14時46分

キッカリ、黙とうはしたいものです。

 

やはり、日本の絆を感じるため、東北大震災を忘れず、復興を思う原点、出発点と僭越ながら思うのです。

 

ということで、今回はここまでです。

お付き合いいただき、ありがとうございます。

では。